カンボジアの歴史2 カンボジア旅行・その魅力

2008年04月02日

カンボジアの歴史2

 アンコール王朝(クメール王朝)は、クメール人(現在のカンボジア人)が5、6世紀ごろから版図を拡大して、9世紀にヤショーバルマン一世が巨大なヤショーダラプラという都城、(「ヤショーバルマン王の都城」)を建設したことからますます隆盛を極めていきました。

 現在のアンコール遺跡群というのは、ヤショーバルマン一世の建築以来、約550年間にわたり建築され続けてきた、都城(アンコール・トム)であるわけです。




アンコール王朝の最盛期

 アンコール王朝は一時期、インドシナ半島に伸張してきた近隣勢力によって占領されたこともありましたが、すぐに回復し、ジャヤバルマン七世の統治下で、空前の繁栄を具現します。

 その領域は、インドシナ半島の大部分を占めるほどになったのです。王は道路網を整備し、街道には121箇所の宿泊所を設置したといいます。さらに国内には102箇所に病院が建てられたのです。



アンコール王朝の衰退

 ジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝でしたが、ジャヤバルマン七世の死後、その国力は急激に衰退しました。15世紀(1432年)には、シャム(現在のタイ)のアユタヤ朝によって攻略されました。

 アンコール王都は陥落しました。その後、もともとプノンバケンの小丘にあった都は、スレイサントール、プノンペン、ロベック、ウドンへと点々とすることになります。そして西のシャム(タイの勢力・・・アユタヤ朝、バンコク朝)、東のベトナム(グエン朝)に領土を侵食されながら、近代へと至ったのです。


ラベル:カンボジア
posted by カボジアファン at 00:00| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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